Sony Acceleration Platformでは、大企業の事業開発を中心に、さまざまなプロジェクトを支援しています。本連載では、新しい商品や技術、サービスアイデアの事業化を行う会社や起業家など、現在進行形で新しい価値を創造している方々の活動をご紹介します。
今回は、ソニーのソフトウェア開発のテスト・品質保証の第一人者として長年先頭を走り続けてきた、ソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ株式会社の公文一博に、ソフトウェア開発の新しい品質保証ソリューション「EnQualitas」とその誕生背景について、お話を伺いました。
ソフトウェア開発の上流工程からバグを未然に防ぎ、大幅なコストカットを実現できる世界とは―。



キャリアが導いた発見 - 1万時間に迫るバグ分析で見つけた「パターン」
――品質改善ソリューション「EnQualitas」のリリースにあたり、ソリューションの構想に至るまでの背景を教えてください。
公文:私はソニーに入社後、デジタルイメージング領域、ビデオカメラなどのソフトウェア開発者としてキャリアをスタートさせました。最初の仕事は、ソフトウェアの仕様を書いたり、カメラを動かすための固有のシステムを制御したりするような、まさに開発の根幹に関わる部分でした。
しばらくして組織内で「ソフトウェアのテスト専門チームを作ろう」「開発プロセス自体を改善していこう」という動きが起こり、私もそのチームへ異動することになりました。それが、私がソフトウェアテストと品質保証の世界に深く足を踏み入れるきっかけでした。
正直、最初は手探りの状態でした。体当たりで様々なテスト活動や品質に関する業務を学びましたね。当時はまだ「自動テスト」という概念も世の中に少なく、多くのテストは人海戦術に頼っていました。膨大な数のテスト項目を、人が一つひとつ実行し、目で見て確認する。その光景を目の当たりにして、「これを何とか効率化・自動化できないか」と強く感じたことを覚えています。そこから自動テストの仕組みを自ら構築し、デジタルイメージングの開発現場に導入するという経験をしました。
一通りやり切った後、少し違う世界も見てみたいと思い、当時のソニー・エリクソン(現在のソニー(株)のモバイルコミュニケーションズ事業)へ交換留学のような形で出向しました。そこでは、個別のテストだけでなく、開発プロジェクト全体におけるテストと品質を管理するマネジメントの役割を担い、視野を広げることができました。
そして2010年頃、再びデジタルイメージングの世界に戻り、ソフトウェアのプロジェクトマネジメントやテストリーダーとして様々なプロジェクトに携わりました。その頃です、私のキャリアにおける大きな転機が訪れたのは。日々の業務で、私は毎日のようにソフトウェアのバグ分析に明け暮れていました。なぜこのバグは発生したのか、どこで混入したのか、どうすれば防げたのか。品質に関する課題に、文字通り「ぶち当たって」いたのです。これを根本的に解決できないかと思案を巡らせる中で、ある時、ふと「あること」に気づきました。その気づきこそが、今取り組んでいるソリューションのすべての始まりであり、私の怒りの源…いえ、原動力になっているものです。
――その「気づき」をビジネスにしたいという思いが現在の業務、そして新しい品質改善ソリューション「EnQualitas」につながるのですね。
公文:ええ。漠然と「この発見をビジネスにできないか」と考え始めると同時に、もともと新規事業を立ち上げたいという思いもあって、2016年に現在の部署へ移りました。最初はまだ、今のような明確な形にはなっていませんでした。私が気づいたノウハウは、私自身が使えば上手くいくけれど、他の人にはなかなか伝わらない。いわば、名前のない“暗黙知”のような状態だったのです。これを、誰もが使える“形式知”に変え、ソニー社内のものづくりをより良くし、さらには社外へビジネスとして展開できる形にできないか。そう考えて、技術を磨き、活動を続けてきたのがこれまでの道のりです。
コストを劇的に削減する逆転の発想 - なぜ「未来のバグ」を防げるのか
――その「気づき」とは、一体どのようなものだったのでしょうか。
公文:それを説明するには、まずソフトウェア開発のプロセスを理解していただくのが早いかもしれません。
ソフトウェア開発は、多くの場合、お客様の「要求」を定義し、それを具体的な「仕様」に落とし込み、「設計」図を作り、「実装(プログラミング)」し、最後に「テスト」するという流れで進みます。時間軸で言うと、要求や仕様を決めるのが「上流工程」、テストが「下流工程」です。

私はキャリアを通じて、それこそ「1万時間の法則」に迫るほど、数えきれないほどのバグを分析してきました。するとある時、バグが発生する手順には、ある決まった「アルゴリズム」や「パターン」のようなものが存在することに気がついたのです。そして、さらに驚いたのは、開発の上流工程、つまり仕様や設計をレビューしている人たちが議論している内容と、下流のテストで見つかるバグのパターンが、全く同じ構造をしている、という発見でした。上流と下流で、同じ過ちを繰り返していたのです。
――それはつまり、テスト段階で見つかるはずの問題の「種」が、すでにもっと前の段階に存在していた、ということですか。
公文:まさにその通りです。これまでの開発では、上流で作られた仕様書は当たり前のように後工程に渡され、それを使ってテストの条件が作られていました。しかし、もし最初の仕様書に曖昧な記述があったり、考慮すべき点が抜け落ちていたりすると、その問題は設計、実装へと引き継がれ、最終的にあちこちにバグとして埋め込まれてしまう。そして、それを下流のテストで必死に探していたわけです。
私の発想は、このプロセスを逆転させることでした。下流のテストで見つけてきた「バグ混入パターン」を、一番最初の上流工程、つまり仕様や設計を考える段階の「思考パターン」として活用するのです。そうすれば、将来バグになるであろう問題の種を、それが生まれる前に摘み取ることができる。「予防」が可能になるわけです。
――なるほど。対処療法ではなく、根本原因にアプローチするのですね。
公文:はい。ソフトウェア開発には有名な法則があり、バグの発見が遅れれば遅れるほど、その修正コストは指数関数的に増大していきます。仕様段階で見つければ「1」で済むコストが、テスト段階では「100」、リリース後では「1000」にもなりかねない。私たちのソリューションは、このコストが「1」の段階で問題を解決し、後工程にかかる莫大な修正コストを丸ごとゼロにすることを目指しています。

例えば、スマートフォンのカメラアプリを開発するケースを考えてみましょう。仮に本体のボタン操作に関する仕様は完璧に書かれていても、Bluetoothリモコンからの操作といった、異なる経路からのアクセスに関する仕様がすっかり抜け落ちていることがあったとします。すると、テスト段階で「リモコンでシャッターが切れない」というバグとして発覚する。我々のパターンには、「異なる入り口から操作した場合にどうなるか」という視点が含まれており、これを仕様作成時に適用すれば、こうした見落としを事前に防ぐことができるのです。
最大の壁、「暗黙知」との戦い - 10年かけて築いたチームと方法論
――お話を聞いていると、公文さんの長年の経験そのものがこの「EnQualitas」の核になっていると感じます。
天宅:まさにそこがこのソリューションの最大の強みです。初めてこの話を聞いた時、正直なところ、スケールの大きさが分からなすぎて戸惑いました(笑)。でも、聞けば聞くほど、これは公文さんの経験、ひいてはソニーがものづくりの中で蓄積してきたソフトウェアテストの歴史そのものなのだと理解しました。だからこそ、他社にはなかなか真似のできない、圧倒的にユニークな価値がある。ここに大きな可能性を感じて、Sony Acceleration Platformとしてもぜひ事業化やソニー社内外への展開に際しサポートできることがあれば…と話が進んだのです。
――公文さんご自身も、そのノウハウを他の人が使える形にすることに、ご苦労されたとか。
公文:はい、それが最大の壁でした。私が気づいた「パターン」は、いわゆる「手続き的知識」や「暗黙知」と呼ばれるもので、自分では使いこなせるのですが、それを他人に言葉で説明するのが非常に難しい。よく例えるのが、自転車の乗り方です。乗れる人は「ハンドルを握って、ペダルをこいで、スピードに乗れば安定するよ」と説明できますが、初めて乗る人はその説明だけでは乗れませんよね。なぜそれで乗れるのかが分からない。私のパターンも最初はそれに近い状態で、他の人から見れば「それは何ですか?」という状態でした。
――その難解な「自転車の乗り方」を、どのようにしてチームに伝えていったのですか。
公文:幸運だったのは、この難題に一緒に向き合ってくれる仲間のチームを持てたことです。まずは、私が持っている知識や手順をとにかく書き出すことから始めました。そして、それをチームのメンバーに理解してもらい、今度は彼ら自身の言葉で論文やトレーニング資料として再構築してもらう。その資料を使って、また別の人をトレーニングする。この地道な作業を、繰り返し繰り返し、何年もかけて行いました。
このパターンに気づいたのが2012年頃。チームのメンバーが自分の言葉で書き出せるようになったのが2018年か2019年頃。そこからトレーニング資料を作り始めた。まさにライフワークです。このプロセスを経て、私と同じようにパターンを使いこなし、お客様にコンサルティングできるメンバーが、今では10人ほどに増えました。この活動を知ってくれている人も含めると、数百人規模にまで広がっています。
天宅:私たちSony Acceleration Platformの品質支援チームも、まさにその「自転車を乗りこなせる人」を増やすための支援をしています。公文さんのような専門知識を持つ人材を育成し、様々なプロジェクトへ提供する(※)ことで、このソリューションの適用範囲を広げていく。自動化ツールの開発にも一緒に参加してもらい、2年以内には、より多くの人がこの価値を享受できるような形を目指して動いています。
※エンジニアリング領域 プロフェッショナル人材提供サービス:https://sony-acceleration-platform.com/solutions/73
AIとの融合で描く未来 - 日本のものづくりを、再び世界の中心へ
――「EnQualitas」の今後の展望について、さらに詳しくお聞かせください。
公文:現状は、このソリューションを活用していただくために、我々のチームメンバーが開発工程を確認し、実際にこのソリューションが活用できるかを判断したうえでソリューション提供を行う、コンサルティング型のサービスとなっています。
短期的には、現在人間が行っているコンサルティングを、開発ツール上で自動的に行えるような仕組みを構築しています。例えば、普段使っているExcelやPowerPointのようなツール上で、仕様書を記述すると、我々のパターンが自動的に適用されて「こういう動作は危険ですよ」といった警告メッセージを出してくれるようなイメージです。
そして、その先に見据えているのは、AIとの完全な融合です。作りたいものの「要求」を自然言語でインプットすれば、構築しているその仕組みがAIと我々のパターンを応用して、抜け漏れのない最適な仕様書を自動で生成してくれる。そんな世界を目指しています。
――まさに開発のあり方そのものを変える挑戦ですね。AIとの融合が実現すると、仕様を作成するエンジニアの仕事はなくなってしまうのでしょうか。
公文:いいえ、決してなくなることはありません。むしろ、人間が本来やるべき、より創造的な仕事に集中できるようになると考えています。例えば、ある製品で「動作の快適さを追求する代わりに、バッテリー持ちは少し短くても良い」とするか、「バッテリー持ちを最優先」とするか。そういった、製品の価値を決定づける「味付け」の部分や、ユーザーにどのような体験を提供したいかという思想の部分は、人間にしか考えられません。AIはあくまで最適な選択肢を提示するアシスタントであり、最終的な判断は必ず人間が必要になります。世の中の作り方が、大きく変わっていくでしょうね。
――その未来の実現は、いつ頃になりそうでしょうか。
公文: この2、3年で生成AIが爆発的に普及したおかげで、我々の計画は大きく前進しました。あと2年以内には、実用的なレベルまで持っていきたいと考えています。このタイミングで世に出さなければならないと思っています。
――最後に、この記事を読んでいる社内外の方々へメッセージをお願いします。
公文:このソリューション「EnQualitas」は、ソニーが長年のものづくりで培ってきたノウハウの結晶です。私は、誰もが手に取りやすいリーズナブルな価格で提供することで、日本のものづくり全体の品質向上に貢献したいと考えています。様々な支援や経験で得た知見やデータは、さらにソリューションを成長させ、それがまたソニーの力になる。そんなエコシステムを築いていきたいのです。私たちの活動に共感し、この未来を一緒に作ってくださる仲間を広く募集しています。ぜひお声がけください。
天宅:きっとあらゆる大企業の中には、公文さんのように素晴らしいノウハウを持ちながら、それを社内で持て余していたり、外への出し方が分からずにいたりする人がたくさんいるはずです。私たちSony Acceleration Platformでは、そうした価値ある知見を世の中に広げるお手伝いができます。今回の挑戦が、そうした方々にとっての一つのモデルケースになれば、これほど嬉しいことはありません。
「EnQualitas」サービスサイト:https://www.sony-global-mo.co.jp/products/manufacturing/enqualitas/index.html

いかがでしたか?
大切に育ててきた家族の話をするように、そして楽しそうにお話しされていて、お話を聞いていた私たちも未来への期待感が広がった時間でした!