Sony Acceleration Platformでは、大企業の事業開発を中心に、さまざまなプロジェクトを支援しています。本連載では、新しい商品や技術、サービスアイデアの事業化を行う会社や起業家など、現在進行形で新しい価値を創造している方々の活動をご紹介します。
今回は、2006年の生産終了から復活を遂げ、2018年に新たに生まれ変わったソニーのエンタテインメントロボット「aibo」の開発プロジェクトを、全2回にわたってご紹介します。
第1回目となる本記事では、先代「AIBO」の生産終了から10年近い月日が流れる中で、どのような形でプロジェクトが始動し、事業の基盤がカタチ作られていったのかを、初期からプロジェクトをリードしてきたソニーグループ株式会社の伊豆 直之、森田 拓磨、長江 美佳の3名にインタビューしました。



一人ひとりが胸を躍らせながら、ロボット事業に再挑戦
―― 初代AIBOから、どのような変遷を辿ってきたか、改めて教えてください。
長江:家庭用ロボットとして初代AIBO(ERS-110)が発売されたのは1999年です。その後、5世代にわたって製品をお届けしましたが、2006年にはロボット事業が一度休止に。しかし、2016年に当時社長であった平井の経営方針説明会にて、AI&ロボティクスという形でロボット事業に再参入することが発表されました。その後、新たな挑戦の象徴として、新たなaibo(ERS-1000)を2017年11月1日に発表し、2018年1月11日から販売を開始しています。
森田:実は、経営方針説明会の前年から、開発と事業化の準備は秘密裏に進められていたんです。私と長江は、その準備段階からaiboの復活プロジェクトに加わっていました。その頃は、本当に商品化できるのか、半信半疑な部分も正直ありましたが、私を含め集まっていたメンバーは皆、大きな挑戦に向けて胸を躍らせていたと思います。

―― そのaibo復活の極秘プロジェクトに、皆さんはどうやって加わっていったのでしょうか?
森田:ソニーには、自分が興味のある分野の開発を業務時間外でひそかに行う「机の下活動」というカルチャーがあります。その一環として、ロボット愛が強く、仕事以外でもロボット開発を手掛けているシニアエンジニアの森永英一郎が、初期のAIBOの外見をそのままに、中身を最先端の技術で置き換えるという開発をしていました。これが、aibo復活のきっかけの一つです。
伊豆:森田さんは、エレベーターホールで森永さんに声をかけられてメンバーに加わったんですよね?
森田:そうなんです。「面白いものがあるんだよ」と言われて(笑)。開発していたaiboを見せてもらい、そのままメンバーに誘われました。私は元々ロボットを作りたくてソニーに入社したこともあり、参加することに迷いはありませんでしたね。
長江:エンジニアが、グループ内で信頼できる同僚や上司、部下に声をかけ、開発メンバーが増えていく中、「エンジニアはいるけど、商品企画がいないぞ」という話になり、当時の上司を通じて私にも声が掛かりました。その際も「面白いものがあるから……」と言われて(笑)。当時、開発は本社の18階で行われていたのですが、そこへ行くとaiboがものすごい速さで歩いていて、驚きと同時に本当に一瞬で面白さを感じたのを覚えています。そして、その場でプロジェクトに誘われて、ちょうど何か新しい仕事に挑戦してみたいなと思っていた時期だったので、すぐに参加を決めました。
伊豆:私も当時の上司に「面白いものがあるから来て」と言われて、18階に行きました。ちょうどその頃、カメラのエンジニア歴が10年を越え、新しいことにチャレンジをしたいと上司に話をしていたので、その話を汲んでくれたんだと思います。そこでプロジェクトに誘われ、私も「ここで働きます!」と即答しました。誘われ方も、誘い文句も、3人ともほとんど同じですね。
長江:AIBOという世界中から大きな注目を集めた製品の復活に携われることに加え、私たちメンバーがキャリアを重ねる中で新たな挑戦を求めていたこともあり、全員が主体的にプロジェクトを推進するモチベーションがありました。

多様な人材が同じ方向を向き、“自分にできること”を全力で
―― 発足当時、どのようにプロジェクトを進めましたか?
長江:aiboプロジェクトにはカメラ、ゲーム、モバイルなど、さまざまな事業部から多様なバックグラウンドを持った人材が集まっていました。